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<title>平井靖史</title>
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<description>註つきの研究記事。一部はZenodoに登録し、DOIで引用できます。</description>
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  <title>適応地形の37年前</title>
  <dc:creator>平井靖史 </dc:creator>
  <link>https://yasushihirai.com/notes/armand-janet-1895/</link>
  <description><![CDATA[ 




<section id="進化を風景で考えるその前に" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="進化を風景で考えるその前に">進化を「風景」で考える、その前に</h2>
<p>進化生物学でもっとも有名な視覚的道具のひとつに、適応地形（adaptive landscape）あるいは適応度地形（fitness landscape）と呼ばれる図式がある。峰は高い適応度を、谷は低い適応度を表す。生物の集団はこの起伏の上を、自然選択に押されて峰へ峰へと登っていく。だが登った先が本当の最高峰とは限らない。低い峰（局所最適）に囚われた集団は、いかにして谷を渡り、より高い峰に達しうるのか——。この図式は進化生物学の教科書に定着しただけでなく、タンパク質工学から機械学習の最適化まで、分野を越えて使い回される共通言語になった。</p>
<p>そして、この図式の由来を語るとき、普通はこう考えられてきた。適応地形は1932年、集団遺伝学の建設者の一人シューアル・ライト（Sewall Wright）が、第6回国際遺伝学会議（イサカ）の講演で導入したものである、と。実際、今日の適応地形論はほぼすべてライトのこの講演を出発点に据えており、その限りでこの物語は正しい。</p>
<p>ところが、である。ライトの37年前、1895年の秋にオランダのライデンで開かれた第3回国際動物学会議で、進化理論の専門家ですらない一人のフランス人が、これとよく似た——しかし、ある一点で決定的に違う——構想をすでに披露していた。種を多次元空間のなかの一点として表す。環境の作用を、その点の運動を制限する曲面として描く。種の安定を曲面のくぼみでの力学的平衡として説明し、そして進化を、環境変化がその曲面全体を変形させることの帰結として捉える。そういう報告である。</p>
<p>報告者の名はアルマン・ジャネ（Armand Janet）。本業は海軍の造船技師、余技はチョウの分類学。この記事では、この人物と、その風変わりで美しい理論を、一次資料（1896年刊の会議議事録）にもとづいて紹介したい。</p>
</section>
<section id="アルマンジャネとはどんな人か" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="アルマンジャネとはどんな人か">アルマン・ジャネとはどんな人か</h2>
<p>アルマン・ジャネについて、確実な資料から言えることを並べてみる。ライデンの会議議事録の参加者名簿には、Janet, Armand, Ancien Ingénieur de la Marine, Toulon——元海軍技師、トゥーロン在住——とある。フランス海軍の造船部門で技師を務めたのち、この時点ではすでに退いて、南仏の軍港都市トゥーロンを拠点に鱗翅目（チョウとガ）の研究に打ち込んでいた。翌1896年にはフランス昆虫学会の会報にトンキン（現在のベトナム北部）産チョウ類の新種記載を発表しているし、時代は下って1911年には同学会の会長も務めている。分類学者としては、れっきとした一流のアマチュア——当時の昆虫学ではアマチュアこそが主力である——だった。</p>
<p>ジャネという姓でピンとくる読者もいるだろう。無意識の研究で知られる心理学者ピエール・ジャネ、その伯父で哲学者のポール・ジャネと同じ姓だが、別人である。ただし科学史の好事家には、別の連想のほうが正しく働く。周期表を電子配置の順に組み替えた「左段階周期表」の考案者にして、アリの顕微解剖で先駆的な仕事を残した異能の技師シャルル・ジャネ（Charles Janet, 1849–1932）——アルマンはこのシャルルの兄弟である。実際、ライデンの参加者名簿にはボーヴェ在住のJanet, Charlesの名が並んで載っており、議事録にはシャルルによるスズメバチ（Vespa crabro）の観察報告への言及もある。兄弟そろって本業は技師、余技で第一線の昆虫学者、しかも同じ国際会議に出席していたわけである。</p>
</section>
<section id="年9月ライデン" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="年9月ライデン">1895年9月、ライデン</h2>
<p>第3回国際動物学会議は、1895年9月16日から21日までライデンで開かれ、議事録は翌96年、同地の老舗出版社ブリル（E. J. Brill）から刊行された。全543ページの議事録には当時の動物学の関心事が詰め込まれているが、目玉のひとつは、獲得形質の遺伝の否定で名を馳せていたアウグスト・ヴァイスマンによる講演「胚芽選択について」（Ueber Germinal-Selektion）だった。ダーウィンの自然選択説が定着する一方で、変異の連続・不連続をめぐる論争が沸騰し、「種はなぜ連続的なグラデーションではなく、たがいに切り離された単位として存在するのか」という古典的な難問——種の問題——が改めて先鋭化していた時期である。</p>
<p>ジャネの報告は、まさにこの難問への、いかにも技師らしい回答だった。題して「進化と種の問題についての力学的考察」（Considérations mécaniques sur l’évolution et le problème des espèces）。議事録のpp. 136–145、わずか10ページの小品である。</p>
</section>
<section id="種とは力の釣り合いである" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="種とは力の釣り合いである">種とは、力の釣り合いである</h2>
<p>報告の冒頭でジャネは、共通の祖先から分岐していく諸形態の系統を、河口で枝分かれする河のデルタに見立て、古生物学がその「地図」を素描してくれると述べる（p.&nbsp;137）。ここまでは、当時としてはごく普通の絵である。本領はここからだ。</p>
<p>まず、種の定義そのものが力学化される。生物はたえず、外部環境——ジャネは環境の中身として組成・温度・圧力・食物などを挙げる——から反作用を受けており、この外からの諸力は、当の種の生理的諸現象を担う内的諸力と、つねに釣り合っている（s’équilibreront toujours）。つまり種とは、内なる生理と外なる環境とがつくる平衡状態である（pp.&nbsp;138–139）。種が「安定したもの」に見えるのは、それが力の釣り合いの解だからだ。</p>
<p>次に、技師らしい手際で、この平衡が図形に翻訳される。生物のかたちを記述する変数は本来いくらでもあるが、すべてを図示することはできない。そこでジャネは変数を三つに制限し、生物形態を三次元空間のなかの一点として表す。残りの変数は、「最初に調べた曲面をその特殊例として含むような曲面の族」（une famille de surfaces dont la surface d’abord étudiée sera un cas particulier）を定めるパラメータに回される（p.&nbsp;139）。多次元の問題を低次元に射影して扱う——現代のモデル屋なら誰でも知っている身振りが、1895年の時点で自覚的に実行されている。</p>
<p>そして環境の出番である。環境は、生物を表す点が「通過できない」曲面——ジャネの用語で制限曲面（surfaces limitatives）——というかたちで、空間に限界を引く。点はこの曲面に押しつけられており、点に働く合力は、曲面に垂直な法線成分Nと、曲面に沿う接線成分Tに分解される。Tがゼロでないかぎり、点は曲面の上を滑っていく。</p>
<div class="quote-fr">
<p><span class="fr">Il n’y aura donc équilibre que quand la force T sera nulle, c’est-à-dire quand la force à laquelle est soumis le point sera normale à la surface.</span></p>
<p><span class="tr">したがって平衡が成り立つのは、力Tが零になるとき、すなわち点の受ける力が曲面に対して垂直になるときに限られる。</span></p>
<p><span class="src">Janet 1896, p.&nbsp;140（訳は引用者）</span></p>
</div>
<p>点が滑り込んで止まる先は、曲面のくぼみの底である。ジャネはこの安定位置への運動を、容器の底へ落ちていき、短い振動ののちに静止する重い物体になぞらえる（p.&nbsp;141）。くぼみの底の安定平衡——それこそが、われわれが「種」として観察しているものだ、というのがジャネの答えである。</p>
<figure class="figure">
<svg viewbox="0 0 680 320" xmlns="http://www.w3.org/2000/svg" aria-label="制限曲面の断面と、力の分解の模式図">
<defs> <marker id="ah-ink" viewbox="0 0 10 10" refx="8.5" refy="5" markerwidth="6.5" markerheight="6.5" orient="auto-start-reverse"><path d="M0,0 L10,5 L0,10 z" fill="#1b1a17"></path></marker> <marker id="ah-orange" viewbox="0 0 10 10" refx="8.5" refy="5" markerwidth="6.5" markerheight="6.5" orient="auto-start-reverse"><path d="M0,0 L10,5 L0,10 z" fill="#eb6834"></path></marker> <marker id="ah-aqua" viewbox="0 0 10 10" refx="8.5" refy="5" markerwidth="6.5" markerheight="6.5" orient="auto-start-reverse"><path d="M0,0 L10,5 L0,10 z" fill="#1b1a17"></path></marker> <marker id="ah-gray" viewbox="0 0 10 10" refx="8.5" refy="5" markerwidth="6.5" markerheight="6.5" orient="auto-start-reverse"><path d="M0,0 L10,5 L0,10 z" fill="#898781"></path></marker> </defs> <path d="M28,78 C150,88 195,240 335,240 S540,104 655,84" fill="none" stroke="#2a78d6" stroke-width="3" stroke-linecap="round"></path> <text x="490" y="58" font-size="13" fill="#52514e">曲面＝環境による制限</text> <text x="490" y="75" font-size="11.5" fill="#898781">（断面図）</text> <line x1="565" y1="82" x2="595" y2="98" stroke="#c3c2b7" stroke-width="1"></line> <circle cx="175" cy="163" r="8" fill="#ffffff" stroke="#eb6834" stroke-width="2.5"></circle> <line x1="175" y1="171" x2="175" y2="233" stroke="#1b1a17" stroke-width="2" marker-end="url(#ah-ink)"></line> <text x="165" y="248" font-size="13" font-weight="600" fill="#1b1a17">F</text> <line x1="182" y1="169" x2="220" y2="203" stroke="#eb6834" stroke-width="2.2" marker-end="url(#ah-orange)"></line> <text x="228" y="212" font-size="13" font-weight="600" fill="#1b1a17">T</text> <line x1="168" y1="170" x2="135" y2="208" stroke="#1b1a17" stroke-width="2" marker-end="url(#ah-ink)"></line> <text x="118" y="219" font-size="13" font-weight="600" fill="#1b1a17">N</text> <text x="60" y="120" font-size="13" fill="#52514e">点＝生物のかたち</text> <line x1="128" y1="127" x2="163" y2="152" stroke="#c3c2b7" stroke-width="1"></line> <circle cx="335" cy="228" r="11" fill="#eb6834" stroke="#ffffff" stroke-width="2"></circle> <text x="335" y="272" font-size="13.5" font-weight="600" fill="#1b1a17" text-anchor="middle">T＝0：安定平衡＝「種」</text> <text x="335" y="292" font-size="12" fill="#898781" text-anchor="middle">（容器の底に落ち着く重い物体）</text> <text x="262" y="140" font-size="12" fill="#52514e">T≠0 のあいだ、点は</text> <text x="262" y="157" font-size="12" fill="#52514e">曲面に沿って滑る</text>
</svg>
<figcaption>
図1　ジャネのモデルの基本構図（原文の記述にもとづく再構成）。環境の作用は、生物を表す点が越えられない制限曲面として描かれる。点に働く合力Fは法線成分Nと接線成分Tに分解され、Tが零になる場所——くぼみの底——が安定平衡、すなわち種である（Janet 1896, pp.&nbsp;139–141）。
</figcaption>
</figure>
</section>
<section id="心臓部環境が変わると曲面が変形する" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="心臓部環境が変わると曲面が変形する">心臓部——環境が変わると、曲面が変形する</h2>
<p>ここまでなら、よくできた静力学の応用にすぎない。この報告の真価は、次の一節から始まる。</p>
<div class="quote-fr">
<p><span class="fr">Il nous reste à examiner maintenant ce qui se passe quand les milieux se modifient. Si la surface S, représentative de l’action du milieu extérieur se déforme graduellement…</span></p>
<p><span class="tr">残るは、環境が変化するときに何が起こるかを検討することである。外的環境の作用を表す曲面Sが、徐々に変形していくならば……</span></p>
<p><span class="src">Janet 1896, p.&nbsp;141（訳は引用者）</span></p>
</div>
<p>つまりジャネにおいて、進化の駆動因は曲面の変形である。生物の側が努力して地形を乗り越えるのではない。環境が変われば、環境を表現している曲面そのものが形を変える。くぼみは浅くなり、ずれ、ときに消滅する。するとそれまで安定だった点は支えを失い、新しいくぼみへ向かって転がり落ちる。落ち着いた先が、新しい種である。</p>
<p>変形の速さに応じて、進化の見え方も変わる。変形がゆっくりなら、点は釣り合いをほぼ保ったまま少しずつ位置を変える——漸進的な変化である。だが変形が急で、くぼみそのものが壊れてしまえば、点はいっきに別の平衡へ落下する。ジャネはこの移行を、「足もとの地面が崩れ落ちる人の墜落にほぼ比すべきもの」（à peu près comparable à la chute d’une personne sous les pieds de laquelle se dérobe le sol）と呼ぶ（p.&nbsp;142）。地質学的な時間尺度から見れば、この落下は一瞬である。だから平衡と平衡のあいだの中間形態は、生きた集団としても、化石記録としても、ほとんど痕跡を残さない。種と種のあいだに口を開けている「ギャップ」は、こうして説明される。</p>
<p>環境パラメータのわずかな変化が定性的な帰結をもたらす例として、ジャネは温度を挙げる。温度のごく小さな変化が、ある化学反応を可能にしたり不可能にしたり、微生物の培養を許したり禁じたりする（pp.&nbsp;141–143）。パラメータの小さな連続的変化が、可能なものの空間を不連続に組み替える——曲面の変形とは、そういう事態の幾何学的表現である。</p>
<figure class="figure">
<svg viewbox="0 0 680 290" xmlns="http://www.w3.org/2000/svg" aria-label="曲面の変形による平衡の移動を示す三コマの模式図">
<g transform="translate(10,18)"> <path d="M5,60 C60,62 80,120 105,120 C130,120 160,75 205,64" fill="none" stroke="#2a78d6" stroke-width="2.6" stroke-linecap="round"></path> <circle cx="105" cy="109" r="9" fill="#eb6834" stroke="#ffffff" stroke-width="2"></circle> <text x="105" y="152" font-size="12" fill="#52514e" text-anchor="middle">くぼみの底で安定</text> <text x="105" y="235" font-size="13" font-weight="600" fill="#1b1a17" text-anchor="middle">① 平衡＝安定した種</text> </g> <g transform="translate(235,18)"> <path d="M5,60 C60,62 80,120 105,120 C130,120 160,75 205,64" fill="none" stroke="#c3c2b7" stroke-width="2" stroke-dasharray="6 5"></path> <path d="M5,58 C55,60 85,95 110,135 C140,183 160,194 178,196 C188,197 196,193 205,186" fill="none" stroke="#2a78d6" stroke-width="2.6" stroke-linecap="round"></path> <circle cx="105" cy="109" r="9" fill="#eb6834" stroke="#ffffff" stroke-width="2"></circle> <line x1="146" y1="92" x2="146" y2="170" stroke="#1b1a17" stroke-width="2.4" marker-end="url(#ah-aqua)"></line> <line x1="176" y1="78" x2="176" y2="180" stroke="#1b1a17" stroke-width="2.4" marker-end="url(#ah-aqua)"></line> <text x="105" y="235" font-size="13" font-weight="600" fill="#1b1a17" text-anchor="middle">② 環境変化＝曲面Sの変形</text> </g> <g transform="translate(460,18)"> <path d="M5,58 C55,60 85,95 110,135 C140,183 160,194 178,196 C188,197 196,193 205,186" fill="none" stroke="#2a78d6" stroke-width="2.6" stroke-linecap="round"></path> <circle cx="105" cy="109" r="9" fill="none" stroke="#c3c2b7" stroke-width="2" stroke-dasharray="3 3"></circle> <path d="M114,120 C130,150 148,175 165,185" fill="none" stroke="#eb6834" stroke-width="2.2" stroke-dasharray="5 4" marker-end="url(#ah-orange)"></path> <circle cx="180" cy="186" r="9" fill="#eb6834" stroke="#ffffff" stroke-width="2"></circle> <text x="105" y="235" font-size="13" font-weight="600" fill="#1b1a17" text-anchor="middle">③ 新しい平衡へ落下</text> </g>
</svg>
<figcaption>
図2　環境変化による、曲面全体の外生的変形（再構成図）。①種は曲面のくぼみで平衡にある。②環境が変わると、環境を表す曲面Sそのものが変形する（点線＝変形前）。③支えを失った点は新しいくぼみへ転がり落ちる。急激な変形の場合、この移行は「足もとの地面が崩れ落ちる人の墜落」（p.&nbsp;142）にたとえられ、中間形態はほとんど痕跡を残さない。
</figcaption>
</figure>
</section>
<section id="凝った細部個体変異家畜化そして二重稜線" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="凝った細部個体変異家畜化そして二重稜線">凝った細部——個体変異、家畜化、そして二重稜線</h2>
<p>短い報告だが、細部は妙に行き届いている。三つだけ拾っておく。</p>
<p>第一に、個体変異。理想的に滑らかな曲面なら、平衡は幾何学的な一点に定まるはずである。だが現実の曲面には、摩擦と微細な凹凸がある。すると平衡は一点ではなく、ある広がりをもつ領域に「にじむ」。</p>
<div class="quote-fr">
<p><span class="fr">… le point mobile peut se trouver en équilibre dans les limites d’une aire A d’une certaine étendue régnant autour de la position théorique.</span></p>
<p><span class="tr">……動く点は、理論上の位置のまわりに広がる、一定の広さをもつ面積Aの限界内で、平衡にとどまりうる。</span></p>
<p><span class="src">Janet 1896, p.&nbsp;143（訳は引用者）</span></p>
</div>
<p>種が幾何学的な一点に収束せず、個体変異の幅をもって散らばって見えるのはこのためだ、とジャネは言う。安定域の広さが、実現する形態のばらつきを決める——拘束の強さと変異の幅を一枚の図の上で結びつける発想である。</p>
<p>第二に、家畜化。ジャネの枠組みでは、人間もまた環境の一部であり、したがって制限曲面を書き換える存在である。彼は、人間とはそれ自身「制限曲面」の変更である（l’homme est une modification des «surfaces limitatives»）という印象的な言い方までしている（p.&nbsp;144）。家畜化・栽培化とは、人為が曲面の曲率を増したり、一部を消し去ったりすることにほかならない。生物と環境の相互規定を曲面の語彙で述べるこのくだりは、現代の読者には示唆的に映るだろうが、ジャネ自身の枠組みでは、あくまで環境の側の改変として扱われている点は押さえておきたい。</p>
<p>第三に、種の不連続性の総括。報告の結びでジャネは、彼のモデルが描く全体像を、主要なくぼみ（凹部）AとBが「二重稜線」（double crête）によって隔てられた曲面としてまとめる（p.&nbsp;145）。くぼみの底は安定で、持続的に占有される。稜線の上は不安定で、そこにとどまる形態はない。だから自然は、連続のグラデーションではなく、たがいに切り離された種の集まりとして現れる。冒頭の「種の問題」への回答が、ここで閉じるわけである。</p>
<figure class="figure">
<svg viewbox="0 0 680 300" xmlns="http://www.w3.org/2000/svg" aria-label="二つの安定なくぼみと、それらを隔てる不安定な二重稜線の断面図">
<path d="M20,125 C80,125 90,215 160,215 C215,215 225,120 262,109 C280,104 289,120 301,123 C313,120 322,104 340,109 C377,120 387,215 450,215 C520,215 535,122 605,116 L660,113" fill="none" stroke="#2a78d6" stroke-width="3" stroke-linecap="round"></path> <circle cx="160" cy="204" r="10" fill="#eb6834" stroke="#ffffff" stroke-width="2"></circle> <circle cx="450" cy="204" r="10" fill="#eb6834" stroke="#ffffff" stroke-width="2"></circle> <text x="160" y="248" font-size="13" font-weight="600" fill="#1b1a17" text-anchor="middle">安定な凹部A（種）</text> <text x="450" y="248" font-size="13" font-weight="600" fill="#1b1a17" text-anchor="middle">安定な凹部B（種）</text> <circle cx="301" cy="114" r="8" fill="#ffffff" stroke="#eb6834" stroke-width="2" stroke-dasharray="3 3"></circle> <path d="M290,120 C270,132 250,155 235,175" fill="none" stroke="#898781" stroke-width="1.8" stroke-dasharray="4 4" marker-end="url(#ah-gray)"></path> <path d="M312,120 C332,132 352,155 367,175" fill="none" stroke="#898781" stroke-width="1.8" stroke-dasharray="4 4" marker-end="url(#ah-gray)"></path> <text x="301" y="48" font-size="13.5" font-weight="600" fill="#1b1a17" text-anchor="middle">二重稜線（不安定）</text> <line x1="268" y1="58" x2="264" y2="98" stroke="#c3c2b7" stroke-width="1"></line> <line x1="334" y1="58" x2="338" y2="98" stroke="#c3c2b7" stroke-width="1"></line>
</svg>
<figcaption>
図3　主要な凹部AとBを隔てる二重稜線（再構成図）。くぼみの底の形態だけが安定に持続し、稜線上の中間形態はどちらかの側へ滑り落ちてしまう。種が不連続な単位として観察されるのはこのためである（Janet 1896, pp.&nbsp;144–145）。
</figcaption>
</figure>
</section>
<section id="ライトの適応地形とどこが同じでどこが違うか" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="ライトの適応地形とどこが同じでどこが違うか">ライトの適応地形と、どこが同じでどこが違うか</h2>
<p>ここで、37年後のライトの図式を思い出そう。1932年にライトが提示したのは、遺伝子の組み合わせ（遺伝子型）の空間に適応度という「高さ」を与えた地形だった。集団は点ではなく、地形の上に広がる雲として表される。自然選択は集団を峰へ押し上げ、小集団の遺伝的浮動が、峰から峰への「谷渡り」を可能にする——彼のシフティング・バランス理論を一枚に圧縮した有名な図である。なお、ライト自身も環境変化が地形を変えうることには触れているが、1932年の図式の主役はあくまで、（さしあたり固定された）地形の上での集団の運動のほうだった。</p>
<p>並べてみれば、共通点と相違点がはっきりする。多次元の状態空間、曲面、安定域とそれを隔てる境界、そして進化のこの幾何学的な把握——ここまでは驚くほど似ている。だが文法が違う。ジャネの曲面で安定なのは谷であり（力学的平衡の慣習）、ライトの地形で目指されるのは峰である（適応度最大化の慣習）。ジャネの空間は形態を記述する変数の空間であり、ライトの空間は遺伝子型の空間である。そして最大の違いは、変化の駆動因の位置にある。ジャネでは、曲面そのものの外生的変形——環境の側の変化——が進化を駆動する。ライトの1932年図式では、地形はさしあたり固定され、その上を集団が動く。</p>
<figure class="figure">
<svg viewbox="0 0 680 330" xmlns="http://www.w3.org/2000/svg" aria-label="ジャネ1895とライト1932の図式の対比">
<g transform="translate(10,22)"> <text x="160" y="6" font-size="14" font-weight="600" fill="#1b1a17" text-anchor="middle">ジャネ（1895）</text> <line x1="75" y1="42" x2="245" y2="42" stroke="#1b1a17" stroke-width="3.2" marker-end="url(#ah-aqua)"></line> <text x="160" y="30" font-size="12.5" fill="#1b1a17" text-anchor="middle">環境が曲面全体を変形させる</text> <path d="M10,80 C80,85 100,195 160,195 C220,195 245,92 310,82" fill="none" stroke="#2a78d6" stroke-width="2.8" stroke-linecap="round"></path> <circle cx="160" cy="184" r="10" fill="#eb6834" stroke="#ffffff" stroke-width="2"></circle> <text x="160" y="228" font-size="12.5" fill="#52514e" text-anchor="middle">谷＝安定（種）／点＝形態</text> <text x="160" y="262" font-size="13" font-weight="600" fill="#1b1a17" text-anchor="middle">動くのは曲面（駆動因は外側）</text> </g> <line x1="345" y1="30" x2="345" y2="300" stroke="#e1e0d9" stroke-width="1.5"></line> <g transform="translate(360,22)"> <text x="160" y="6" font-size="14" font-weight="600" fill="#1b1a17" text-anchor="middle">ライト（1932）</text> <path d="M10,215 C40,210 60,120 95,115 C122,112 132,155 155,160 C177,164 197,88 232,78 C262,70 292,150 310,190" fill="none" stroke="#2a78d6" stroke-width="2.8" stroke-linecap="round"></path> <circle cx="76" cy="150" r="3.6" fill="#eb6834"></circle> <circle cx="88" cy="141" r="3.6" fill="#eb6834"></circle> <circle cx="97" cy="150" r="3.6" fill="#eb6834"></circle> <circle cx="83" cy="160" r="3.6" fill="#eb6834"></circle> <circle cx="95" cy="163" r="3.6" fill="#eb6834"></circle> <circle cx="106" cy="156" r="3.6" fill="#eb6834"></circle> <circle cx="90" cy="151" r="3.6" fill="#eb6834"></circle> <line x1="100" y1="140" x2="97" y2="122" stroke="#1b1a17" stroke-width="2" marker-end="url(#ah-ink)"></line> <text x="60" y="110" font-size="12" fill="#52514e">選択は峰へ</text> <path d="M112,140 C150,110 180,100 210,92" fill="none" stroke="#898781" stroke-width="1.8" stroke-dasharray="5 4" marker-end="url(#ah-gray)"></path> <text x="138" y="96" font-size="11.5" fill="#52514e">谷渡り</text> <text x="160" y="228" font-size="12.5" fill="#52514e" text-anchor="middle">峰＝高適応度／雲＝集団（遺伝子型）</text> <text x="160" y="262" font-size="13" font-weight="600" fill="#1b1a17" text-anchor="middle">動くのは集団（地形は固定）</text> </g>
</svg>
<figcaption>
図4　二つの図式の対比（いずれも再構成図）。似た風景に見えて、文法が逆である。ジャネでは点（形態）は受動的で、環境を表す曲面のほうが変形する。ライトでは地形はさしあたり固定され、集団のほうが地形上を運動する。
</figcaption>
</figure>
<table class="caption-top table">
<colgroup>
<col style="width: 15%">
<col style="width: 40%">
<col style="width: 43%">
</colgroup>
<thead>
<tr class="header">
<th></th>
<th>ジャネ（1895）</th>
<th>ライト（1932）</th>
</tr>
</thead>
<tbody>
<tr class="odd">
<td>空間の意味</td>
<td>形態（表現型）を記述する変数の空間</td>
<td>遺伝子型（遺伝子の組み合わせ）の空間</td>
</tr>
<tr class="even">
<td>価値の向き</td>
<td>谷＝安定（力学的平衡の慣習）</td>
<td>峰＝高適応度（最大化の慣習）</td>
</tr>
<tr class="odd">
<td>動くもの</td>
<td>種を表す一点</td>
<td>集団（頻度の雲）</td>
</tr>
<tr class="even">
<td>変化の駆動因</td>
<td>環境変化による曲面全体の外生的変形</td>
<td>固定的地形上の選択・浮動・移住</td>
</tr>
<tr class="odd">
<td>発想の源泉</td>
<td>力学（力・平衡・摩擦）</td>
<td>地形・地図の比喩</td>
</tr>
</tbody>
</table>
<p>念のために言えば、この対比は「どちらが正しいか」という話ではない。二つの図式は、答えようとしている問いが違う。ジャネの問いは、種はなぜ安定な不連続単位として存在し、それはいかにして変わりうるか、である。ライトの問いは、集団はいかにして局所的な峰を脱し、より高い峰に達しうるか、である。似た風景の絵が、まったく別の劇の舞台として使われている。</p>
</section>
<section id="忘却再発見そして再審" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="忘却再発見そして再審">忘却、再発見、そして再審</h2>
<p>これほどの構想が、その後の進化理論にほとんど痕跡を残さなかった。理由はいくつも想像できる。国際会議の議事録という埋もれやすい媒体。著者が理論生物学の共同体の外にいた技師だったこと。そして何より、数年後にメンデル遺伝学が再発見され、20世紀初頭の進化論争が突然変異と遺伝の問題へ殺到していったこと。ただし、これらは推測である。確かなのは、引用の系譜がきれいに途絶えた、という事実だけだ。</p>
<p>再発見は84年後に来る。1979年、J・ウィン・マッコイ（J. Wynne McCoy）がアメリカン・ナチュラリスト誌に「適応地形概念の起源」という短報を発表し、ライトに帰されてきたこの概念の先駆を、1895年のジャネに見た。以後、英語圏では進化的ランドスケープの歴史が語られる際に、ジャネの名が（ごく手短にではあれ）挙がるようになる。英語版ウィキペディアのEvolutionary landscapeの項には現在も、マッコイに拠りつつ「最初の進化的ランドスケープは1895年、トゥーロンのアルマン・ジャネによって提示された」という趣旨の記述がある。</p>
<p>一方で、近年の科学史研究はこの「先駆者」認定そのものに慎重である。科学史家のディートリヒとスキッパーは、適応地形の歴史を扱った論考のなかで、ジャネが扱うのは遺伝子型ではなく表現型の変化であること、ジャネでは安定が谷にあり峰と谷の価値づけがライトと逆であること、彼の発想の明示的な源泉は地形ではなく力学であること、そしてジャネからライトへの歴史的影響の系列が確認できないことを挙げて、ジャネをライト型の適応地形の前身と見なすことはできない、と結論している（Dietrich &amp; Skipper 2012）。この評価をどう受け止めるべきかはそれ自体おもしろい論点だが、本記事では立ち入らない。</p>
<figure class="figure">
<svg viewbox="0 0 680 175" xmlns="http://www.w3.org/2000/svg" aria-label="進化をランドスケープで考える発想の年表">
<line x1="28" y1="95" x2="660" y2="95" stroke="#c3c2b7" stroke-width="2"></line> <circle cx="40" cy="95" r="5" fill="#2a78d6"></circle> <line x1="40" y1="88" x2="40" y2="66" stroke="#e1e0d9" stroke-width="1"></line> <text x="34" y="42" font-size="12" font-weight="600" fill="#1b1a17">1889</text> <text x="34" y="58" font-size="11.5" fill="#52514e">ゴルトン：型の安定＝多面体</text> <circle cx="74" cy="95" r="7" fill="#eb6834"></circle> <line x1="74" y1="102" x2="74" y2="120" stroke="#e1e0d9" stroke-width="1"></line> <text x="60" y="139" font-size="12.5" font-weight="700" fill="#1b1a17">1895</text> <text x="60" y="156" font-size="12" font-weight="600" fill="#1b1a17">ジャネ：変形する制限曲面</text> <circle cx="281" cy="95" r="5" fill="#2a78d6"></circle> <line x1="281" y1="88" x2="281" y2="66" stroke="#e1e0d9" stroke-width="1"></line> <text x="262" y="42" font-size="12" font-weight="600" fill="#1b1a17">1932</text> <text x="262" y="58" font-size="11.5" fill="#52514e">ライト：適応地形</text> <circle cx="348" cy="95" r="5" fill="#2a78d6"></circle> <line x1="348" y1="102" x2="348" y2="122" stroke="#e1e0d9" stroke-width="1"></line> <text x="330" y="141" font-size="12" font-weight="600" fill="#1b1a17">1944</text> <text x="330" y="157" font-size="11.5" fill="#52514e">シンプソン：表現型の地形</text> <circle cx="421" cy="95" r="5" fill="#2a78d6"></circle> <line x1="421" y1="88" x2="421" y2="66" stroke="#e1e0d9" stroke-width="1"></line> <text x="403" y="42" font-size="12" font-weight="600" fill="#1b1a17">1957</text> <text x="403" y="58" font-size="11.5" fill="#52514e">ワディントン：後成的地形</text> <circle cx="622" cy="95" r="5" fill="#2a78d6"></circle> <line x1="622" y1="102" x2="622" y2="122" stroke="#e1e0d9" stroke-width="1"></line> <text x="560" y="141" font-size="12" font-weight="600" fill="#1b1a17">1993</text> <text x="524" y="157" font-size="11.5" fill="#52514e">カウフマン：NKモデル</text>
</svg>
<figcaption>
図5　進化を「風景」で考える系譜の主な結節点（横軸はおおよそ年代に比例）。ジャネの位置はこの系譜の「起源」なのか、それとも系譜の外のエピソードなのか——それ自体が科学史の論点になっている。
</figcaption>
</figure>
</section>
<section id="むすびになぜいまジャネか" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="むすびになぜいまジャネか">むすびに——なぜいまジャネか</h2>
<p>最後に、私事をひとことだけ。筆者は目下、ベルクソン『創造的進化』（1907年）の生命論を、固定された地形の上の探索としてではなく、時間とともに変形するランドスケープという観点から読み直す仕事を進めている。その準備作業として、19世紀末の科学において「変形する曲面」という表象がどこまで利用可能だったかを洗い出すうちに、この忘れられた技師に行き当たった。ジャネにおいて曲面を変形させるのは、あくまで外側の環境である。では、それとは別の仕方で——生きものの側から、その歴史の側から——地形の変形を考えることはできるだろうか。この問いの行方については、稿を改めて論じることにしたい。</p>
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<div class="callout-title-container flex-fill">
<span class="screen-reader-only">ノート</span>報告の全訳（PDF）
</div>
</div>
<div class="callout-body-container callout-body">
<p>ジャネの報告（議事録 pp.&nbsp;136–145）の全文を日本語に訳したものを置いておきます。全13ページ。 原著の印刷ページの切れ目を〔136〕のように本文中に示してあり、図は原著から切り出したもの、 訳注も付けてあります。</p>
<p><a href="janet-1895-zenyaku.pdf">ジャネ「進化と種の問題についての力学的考察」全訳（PDF）</a></p>
<p>あくまで自分の作業用に作ったもので、誤りを含んでいるかもしれません。最低限の体裁を 整えただけのものです。引用にあたっては原文をご確認ください。</p>
</div>
</div>
</section>
<section id="一次資料と参考文献" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="一次資料と参考文献">一次資料と参考文献</h2>
<div class="refs">
<ul>
<li>Janet, Armand. 1895［刊行1896］. Considérations mécaniques sur l’évolution et le problème des espèces. In Compte-rendu des séances du Troisième Congrès international de zoologie, Leyde 16–21 Septembre 1895, pp.&nbsp;136–145. Leyde: E. J. Brill.<br>
全巻スキャン（米国農務省国立農学図書館所蔵本）：<a href="https://archive.org/details/CAT11023922" rel="noopener">Internet Archive（書誌ページ）</a>／<a href="https://archive.org/download/CAT11023922/CAT11023922.pdf" rel="noopener">PDF直リンク（約40MB）</a>／<a href="https://www.biodiversitylibrary.org/item/254964" rel="noopener">Biodiversity Heritage Library（同一スキャン）</a>。本文の印刷ページ136–145は、スキャン画像のおよそ148–157枚目にあたる。参加者名簿のジャネ兄弟の項、ヴァイスマン講演も同巻所収。本報告の日本語全訳（私訳）：<a href="janet-1895-zenyaku.pdf" rel="noopener">PDF</a>。</li>
<li>Wright, Sewall. 1932. The roles of mutation, inbreeding, crossbreeding and selection in evolution. Proceedings of the Sixth International Congress of Genetics 1: 356–366.<br>
<a href="https://www.blackwellpublishing.com/ridley/classictexts/wright.pdf" rel="noopener">PDF（Blackwell「進化学古典テクスト」収載の複刻）</a></li>
<li>McCoy, J. Wynne. 1979. The Origin of the Adaptive Landscape Concept. The American Naturalist 113 (4): 610–613.<br>
<a href="https://doi.org/10.1086/283418" rel="noopener">doi:10.1086/283418</a>（ジャネを適応地形概念の先駆として復権させた再発見論文）</li>
<li>Dietrich, Michael R. &amp; Robert A. Skipper, Jr.&nbsp;2012. A Shifting Terrain: A Brief History of the Adaptive Landscape. In Erik I. Svensson &amp; Ryan Calsbeek (eds.), The Adaptive Landscape in Evolutionary Biology. Oxford: Oxford University Press（オンライン版2013年）.<br>
<a href="https://academic.oup.com/book/27430/chapter/197272397" rel="noopener">Oxford Academic（章ページ）</a>／<a href="https://global.oup.com/academic/product/the-adaptive-landscape-in-evolutionary-biology-9780199595372" rel="noopener">論集の書誌（OUP）</a>（ジャネを「前身と見なせない」とする近年の再評価）</li>
<li>アルマン・ジャネの昆虫学者としての仕事の例：Janet, Armand. 1896. Description de nouvelles espèces de Lépidoptères du Tonkin. Bulletin de la Société entomologique de France 1896.<br>
<a href="https://www.persee.fr/doc/bsef_0037-928x_1896_num_1_9_21842" rel="noopener">Persée（全文）</a>／<a href="https://www.persee.fr/authority/725268" rel="noopener">Persée著者ページ（業績一覧）</a></li>
<li>シャルル・ジャネ（兄弟）について：<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Janet" rel="noopener">Charles Janet（英語版Wikipedia）</a>——アルマンが技師・鱗翅目研究者であり、1911年にフランス昆虫学会会長を務めたことへの言及もこの項にある。</li>
<li>現代の概説での言及例：<a href="https://en.wikipedia.org/wiki/Evolutionary_landscape" rel="noopener">Evolutionary landscape（英語版Wikipedia）</a>——McCoy 1979に拠って、ジャネを最初の進化的ランドスケープの提示者として紹介している。</li>
</ul>
</div>
<div class="article-note">
<p>【注記】本記事の図はすべて、原文の記述にもとづく筆者による再構成図であり、ジャネの原論文から転載した図版ではない。仏語引用は上記Internet Archiveスキャンの本文から転記し（OCRの明白な誤りは修正）、訳はすべて引用者による。年代・人物についての記述は、上掲の一次資料および参考文献で確認できる範囲にとどめた。本記事の調査にあたっては、資料の探索と整理にChatGPTおよびClaudeを使用した。</p>
</div>
<div class="cite-box">
<p><span class="cite-label">この記事について</span></p>
<p>本稿は学術誌に投稿していない研究ノートです。内容の恒久版を Zenodo に登録しており、 下記のDOIで引用できます。</p>
<dl>
<dt>引用形式</dt>
<dd>
平井靖史（2026）「適応地形の37年前――進化を「変形する曲面」で考えた技師アルマン・ジャネ（1895年）」v1.0. Zenodo. https://doi.org/10.5281/zenodo.21950637
</dd>
<dt>恒久版（PDF）</dt>
<dd>
<a href="https://doi.org/10.5281/zenodo.21950637" class="uri">https://doi.org/10.5281/zenodo.21950637</a>
</dd>
<dt>ライセンス</dt>
<dd>
CC BY 4.0（出典を示せば転載・翻訳可）
</dd>
<dt>更新履歴</dt>
<dd>
2026-08-15　v1.0 公開
</dd>
</dl>
</div>


</section>

 ]]></description>
  <category>科学史</category>
  <category>概念史</category>
  <category>進化論</category>
  <category>19世紀</category>
  <guid>https://yasushihirai.com/notes/armand-janet-1895/</guid>
  <pubDate>Sat, 15 Aug 2026 00:00:00 GMT</pubDate>
</item>
<item>
  <title>ベルクソンの持続理論をMTSの時間論として解釈することの正当化</title>
  <link>https://yasushihirai.com/notes/bergson-mts/</link>
  <description><![CDATA[ 




<p>ベルクソンの持続の哲学に対するMTS解釈を最短で正当化するのは以下の通り。</p>
<section id="未完了相" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="未完了相">1. 未完了相</h2>
<p>ベルクソンが最も重視したのは、持続の「なされつつある」という生成の側面。これは文法概念で言えば「<strong>未完了相</strong>（imperfective aspect）」に相当する。</p>
</section>
<section id="不可分性" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="不可分性">2. 不可分性</h2>
<p>未完了である限りにおいて、持続は「<strong>不可分</strong>」とされる。分割可能と思われているのは、未完了である限りの持続ではなく、完了相のもとで見られたそれ（軌跡）でしかない。</p>
</section>
<section id="有限性" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="有限性">3. 有限性</h2>
<p>その不可分性は一般に「<strong>有限</strong>」である。ゼノンの「アキレスと亀」のパラドクスでいえば、「一歩」の時間単位を構成する。現実の運動は、有限かつ不可分な持続単位による内的な「分節(articulation)」構造が存在すると言われる。</p>
</section>
<section id="多数性" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="多数性">4. 多数性</h2>
<p>この「有限の長さ」は<strong>単一・普遍ではない</strong>。生命や意識の「緊張度」に応じて、複数の「持続単位」の長さは存在する。</p>
</section>
<section id="結論" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="結論">結論</h2>
<p>以上から、ベルクソンの持続理論は、それぞれが不可分の異なる時間単位からなる系列が重層的に存在する<strong>「マルチ時間スケール（MTS）」</strong>の理論として解釈できる。</p>
<!-- 元記事の末尾にあったイメージ画像。不要であれば削除してください。
![](fig-1.png){fig-alt="マルチ時間スケールのイメージ"} -->
<hr>
<div class="first-published">
<p>初出：<a href="https://hiraiya.wordpress.com/2026/02/01/bergson_mts/">旧ブログ</a>（2026年2月1日）</p>
</div>


</section>

 ]]></description>
  <category>ベルクソン</category>
  <category>時間論</category>
  <category>MTS</category>
  <guid>https://yasushihirai.com/notes/bergson-mts/</guid>
  <pubDate>Sun, 01 Feb 2026 00:00:00 GMT</pubDate>
</item>
<item>
  <title>リボー「生物学的事象としての記憶力」</title>
  <link>https://yasushihirai.com/notes/ribot-1880/</link>
  <description><![CDATA[ 




<p>Théodule Ribot, “La mémoire comme fait biologique”, <em>Revue Philosophique</em> 9 (1880), 516–47.</p>
<p>ベルクソンの時代には記憶研究は特別な意味を帯びて学者たちの間で新しい領域として開拓されていた。Hering, Maudsley, Wundt, Carpenter, Dugald Stewart, Taine, そしてSpencer.</p>
<p>この論文の中で言及されている研究者たちはいずれも一定の影響を及ぼしたが、とりわけリボーのこの論文、そして翌年の書籍『記憶疾患』(<em>Les maladies de la mémoire</em>, 1881)の影響は大きい。</p>
<p>『世界は時間でできている』のなかで触れた論点で言えば、<strong>時間内定位</strong>（localisation dans le temps）、<strong>時間観念と記憶の内的関係</strong>、<strong>種レベルの記憶としての遺伝</strong>、そして<strong>病理学の重要性</strong>など。</p>
<blockquote class="blockquote">
<p>単純反射がある。生得的な解剖学的性質に起因するこれらの反射は、それ自体、種の進化における無数の経験によって獲得され、固定化されたものであることを認めることができる。こうして私たちは、個人の記憶から、<strong>種の記憶</strong>である遺伝へと移行することになる。p.&nbsp;546</p>
</blockquote>
<p>しかもある程度までベルクソンに通じる要素を見出すことさえできる。</p>
<blockquote class="blockquote">
<p>記憶というものは、心的なものであれ、器質的なものであれ、それがどこで終わるかを述べることはできない。私たちが記憶という総称で呼んでいるものには、未熟な状態から完全な状態まで、あらゆる程度の組織化がなされた系列がある。不安定なものから安定したものへ、不安定な獲得である意識状態から、固定した獲得である有機的な状態へと、絶え間なく移行しているのである。このように有機化への連続的進展が進むことで、単純化が、秩序が、素材の中に生まれ、より高度な思考が可能になります。他方で、それ自体に還元され、カウンターウェイト（contrepoids）を持たなければ、意識の消滅を進行させ、人間をオートマトンにしてしまうものです。p.&nbsp;546</p>
</blockquote>
<p>もちろん、周知の通り、ベルクソンでは反復による有機的記憶と意識の記憶は、安定／不安定、未熟／完成という程度の違いではなく、はっきりと本性を異にする二軸として立体的に捉え直されることになるのだが、反復がさらなる複雑化の素地として機能すると同時に、当の階層自体では単純化と無意識化をもたらすという理解はすでにある。</p>
<p>そしてこの論文は、健常な状態だけでなく、病的な状態で記憶を研究しなければならないと述べて閉じられている。翌年の書籍を予告しているわけだ。</p>
<blockquote class="blockquote">
<p>記憶の病理学が、記憶の生理学を補完する。そのことをやがて目にするだろう。</p>
</blockquote>
<p>興味深いのは、論文末尾で記憶と栄養摂取nutritionの問題をからめて、記憶を生命の基本条件と結びつけている点だ。この含意はどれほど展開されただろうか。</p>
<hr>
<div class="first-published">
<p>初出：<a href="https://hiraiya.wordpress.com/2022/08/26/ribot1880/">旧ブログ</a>（2022年8月26日）</p>
</div>



 ]]></description>
  <category>文献ノート</category>
  <category>記憶</category>
  <category>19世紀</category>
  <guid>https://yasushihirai.com/notes/ribot-1880/</guid>
  <pubDate>Fri, 26 Aug 2022 00:00:00 GMT</pubDate>
</item>
<item>
  <title>『試論』第二章の小見出し「持続と同時性」</title>
  <link>https://yasushihirai.com/notes/shiron-midashi/</link>
  <description><![CDATA[ 




<p>初版1889から、21版1921年まで確認したが、いちおうDurée et simultanéitéのままだったようだ。</p>
<p>現行Quadrige版でIdée et simultanéité（観念と同時性）となっているのは単なるミス？</p>
<!-- 原ページではキャプションなしで5点が並んでいました。
     版と年はファイル名から分かるので、キャプションとして補ってあります。 -->
<div class="quarto-layout-panel" data-layout-ncol="1">
<div class="quarto-layout-row">
<div class="quarto-layout-cell" style="flex-basis: 100.0%;justify-content: flex-start;">
<div class="quarto-figure quarto-figure-center">
<figure class="figure">
<p><img src="https://yasushihirai.com/notes/shiron-midashi/ed-1889.png" class="img-fluid figure-img" alt="『試論』初版1889年の該当ページ"></p>
<figcaption>初版（1889年）</figcaption>
</figure>
</div>
</div>
</div>
<div class="quarto-layout-row">
<div class="quarto-layout-cell" style="flex-basis: 100.0%;justify-content: flex-start;">
<div class="quarto-figure quarto-figure-center">
<figure class="figure">
<p><img src="https://yasushihirai.com/notes/shiron-midashi/ed-1906.png" class="img-fluid figure-img" alt="『試論』第6版1906年の該当ページ"></p>
<figcaption>第6版（1906年）</figcaption>
</figure>
</div>
</div>
</div>
<div class="quarto-layout-row">
<div class="quarto-layout-cell" style="flex-basis: 100.0%;justify-content: flex-start;">
<div class="quarto-figure quarto-figure-center">
<figure class="figure">
<p><img src="https://yasushihirai.com/notes/shiron-midashi/ed-1909.png" class="img-fluid figure-img" alt="『試論』第6版1909年の該当ページ"></p>
<figcaption>第6版（1909年）</figcaption>
</figure>
</div>
</div>
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<div class="quarto-layout-row">
<div class="quarto-layout-cell" style="flex-basis: 100.0%;justify-content: flex-start;">
<div class="quarto-figure quarto-figure-center">
<figure class="figure">
<p><img src="https://yasushihirai.com/notes/shiron-midashi/ed-1911.png" class="img-fluid figure-img" alt="『試論』第9版1911年の該当ページ"></p>
<figcaption>第9版（1911年）</figcaption>
</figure>
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<div class="quarto-layout-row">
<div class="quarto-layout-cell" style="flex-basis: 100.0%;justify-content: flex-start;">
<div class="quarto-figure quarto-figure-center">
<figure class="figure">
<p><img src="https://yasushihirai.com/notes/shiron-midashi/ed-1921.png" class="img-fluid figure-img" alt="『試論』第21版1921年の該当ページ"></p>
<figcaption>第21版（1921年）</figcaption>
</figure>
</div>
</div>
</div>
</div>
<hr>
<div class="first-published">
<p>初出：<a href="https://hiraiya.wordpress.com/2021/06/23/%e3%80%8e%e8%a9%a6%e8%ab%96%e3%80%8f%e7%ac%ac%e4%ba%8c%e7%ab%a0%e3%81%ae%e5%b0%8f%e8%a6%8b%e5%87%ba%e3%81%97%e3%80%8c%e6%8c%81%e7%b6%9a%e3%81%a8%e5%90%8c%e6%99%82%e6%80%a7%e3%80%8d/">旧ブログ</a>（2021年6月23日）</p>
</div>



 ]]></description>
  <category>ベルクソン</category>
  <category>文献ノート</category>
  <category>書誌</category>
  <guid>https://yasushihirai.com/notes/shiron-midashi/</guid>
  <pubDate>Wed, 23 Jun 2021 00:00:00 GMT</pubDate>
</item>
<item>
  <title>ボルツマンとベルクソンの時間論</title>
  <link>https://yasushihirai.com/notes/boltzmann/</link>
  <description><![CDATA[ 




<p>出発点は田崎晴明先生の動画で、ローカルな時間反転の話をされていて、そこから丸山隆一さんがこれにベルクソンはどう反応したのかと問題提起をいただきました。</p>
<blockquote class="blockquote">
<p>【どうして時間は過去から未来に流れて行くのだろう？ マクロな系における不可逆性 / 田崎晴明】久々に日本語の動画を作りました！ 「時間の向き」をテーマにした一般向けのミニ講義です。多分面白い。相変わらず進歩のない一発どりで随所でグタグタしていますがお許しを。</p>
<p>— <a href="https://x.com/Hal_Tasaki">田崎晴明さん（<span class="citation" data-cites="Hal_Tasaki">@Hal_Tasaki</span>）</a></p>
</blockquote>
<blockquote class="blockquote">
<p>（熱力学的）時間が局所的に逆行する（理論的）可能性についてボルツマンが19世紀に言っていたとは驚きだ。</p>
<p>— <a href="https://x.com/rmaruy">丸山隆一さん（<span class="citation" data-cites="rmaruy">@rmaruy</span>）</a></p>
</blockquote>
<p>ボルツマンについては『創造的進化』での言及しか思いつかなかったので、そこを読み直してみました。結論から言うと、グローバルな逆行については批判しているが「局所的な」逆行については触れている形跡は見つけられませんでした。</p>
<p>彼がボルツマンに言及しているのは、エントロピーが増大しているとすると初期状態にどうして低かったのかという問題を取り上げている『創造的進化』の第三章のくだりで、複数の仮説の一つとして「全般的なinstabilitéが全般的なstabilité状態から出てくる説」を取り上げてそれを批判しています。</p>
<p>まず、エントロピーが増大しているとすると初期状態がどうして「利用可能なエネルギーが最大」（エントロピーが小さい）だったのか、という問題が生じます。それを取り上げている『創造的進化』の第三章のくだりで、候補となる三つの仮説の三つ目として「全般的なinstabilitéが全般的なstabilité状態から出てくる説」を取り上げています。</p>
<p>一つ目は、空間の他の点から得られるとするもの（※宇宙全体のエントロピーではなく太陽系というローカルな系で考えています）。二つ目は、宇宙を無限とするもの。</p>
<p>そして三つ目が、その初期状態以前に、利用可能なエネルギーが増大していた（エントロピーが減少していた）期間があり「増大と減少が際限なく交替」するというサイクリックな時間論で、しかしここで名指しはしていません。</p>
<blockquote class="blockquote">
<p>最後に第三の仮説として、次のように想定することができるかも知れない。不安定性全般は、安定した状態全般から生まれたものである。私たちが生きているこの時代は利用可能なエネルギーが減少しつつある期間に当たるが、この期間の前には易変性が増大する期間があった。こうして易変性の持つエネルギーが増加する期間と減少する期間が交互に果てしなく繰り返されるのだ、と。</p>
</blockquote>
<p>そして逆にこれを批判するのにボルツマンを使っています。そこでベルクソンは〈ボルツマンの計算によればその確率は恐ろしく小さい、だから無視できる〉という風に述べていて、そこの記述は完全にボルツマンの確率論的な言明の意味合いを取り違えているように見えますね。</p>
<p>すぐ次の文で原子論的な捉え方の限界を指摘しているので、ボルツマンの考えも確実に批判の対象に入っているはずですが、うがった見方をすれば分かってて直接攻撃は避けたのかとも読めなくもないような。この辺はなんとも言えないです。</p>
<p>ちなみにボルツマンの<em>Vorlesungen über Gastheorie</em>を文献として挙げていて、ちゃんと読んでそうです。というのも「利用可能なエネルギー」のことを指すS.256に出てくるUmwandelbarkeitを、ベルクソンはおそらく自分でmutabilitéと訳しています〔上に引用した訳では「易変性」〕。というのも当時すでにA. Gallotiによる仏訳1902年に出ているのですが、そこではpouvoir de transformationとされているので。</p>
<p>この点、M. Capek (1971) <em>Bergson and Modern Physics</em>が指摘済み。</p>
<p>いずれにせよ、「変化を諸部分の配列や再配列に還元」する見方では、可逆的な時間像にならざるを得ないという主張は一貫しているので、そういう考え一般に対しては「噛み付いて」いるとはいえますが、ボルツマン直接攻撃はしていないという感じです。</p>
<p>この点、三宅岳史さんはどう書いてたかな、と確認してみたところ、「原子論を取るか取らないかという基本的な存在論の違いはもちろんあるが、それだけではない」と述べられていました。すなわち、『創造的進化』の基本モチーフである「互いに反転し合う二つの非可逆的プロセス」は「ボルツマンの確率論的解釈と深く結びついているように思われる」、と。</p>
<!-- 原記事では「原子論を取るか取らないかという…」の閉じ括弧が欠けていました。
     上では補ってあります。原文どおりに戻す場合は閉じ括弧を削除してください。 -->
<p>「ここからは我々のベルクソン解釈になるが、」と断った上で、以下のように書かれています。</p>
<blockquote class="blockquote">
<p>ボルツマンの宇宙像は、全宇宙は熱的死に達し、エントロピーの低いところと高いところが局地的に存在するというものである。これに対しては、我々は次のように考える。すなわち、ベルクソンの論では宇宙全体は『上昇』が『下降』にそのリズムを押し付けているのだが、局所的に『上昇』が優勢なところと、『下降』が優勢なところ——例えば、観測の示すところでは、生命がエントロピーの向きを反転することはできない我々の世界のように——とが生じるのである。このように考えれば、全体的に宇宙は非可逆的に進化しつつ、局所的には『上昇』と『下降』が相争うことが可能になるだろう。</p>
</blockquote>
<p>それから上に触れたmutabilitéのところ、チャペックはこんな風に書いてます。</p>
<p><img src="https://yasushihirai.com/notes/boltzmann/capek.png" class="img-fluid" alt="Capek, Bergson and Modern Physics の該当箇所"></p>
<p>ボルツマンの独仏英の3種類を見比べることになったのですが、Capekはそこに出てくるTriebendeという表現も見逃していなくて、注ではそれが英訳ではgoalとなっているのがミスリーディングだと指摘し、本文ではdriving forceを提案しています。フランス語は動詞にしてprovoqué parとしていますね。</p>
<p><img src="https://yasushihirai.com/notes/boltzmann/boltzmann-de.png" class="img-fluid" alt="Boltzmann, Vorlesungen über Gastheorie の該当箇所"></p>
<p><em>Boltzmann, Vorlesungen über Gastheorie</em></p>
<p><img src="https://yasushihirai.com/notes/boltzmann/boltzmann-fr.png" class="img-fluid" alt="Galloti によるフランス語訳の該当箇所"></p>
<p><em>Boltzmann, Leçons sur la théorie des gaz (traduit par A. Galloti), p.&nbsp;251</em></p>
<p><img src="https://yasushihirai.com/notes/boltzmann/boltzmann-en.png" class="img-fluid" alt="Brush による英訳の該当箇所"></p>
<p><em>Ludwig Boltzmann, Lectures on Gas Theory (Translated by Stephen G. Brush)</em></p>
<p>この「エントロピー差が自然プロセスのdriving force (Treibende)だ」という言い方は、言葉だけ見ると一瞬佐藤直樹先生の議論を思わせるけれども、ボルツマンが「自然現象」ということで何をどう捉えていたのか知らないのでどこまで読み取っていいのかわからない。（まあ多分普通に自由エネルギーの話でしょうが）</p>
<p>少なくともはっきりしているのは、ベルクソンはこのmutability(Umwandelbarkeit)≒利用可能なエネルギーの減少を<strong>遅延させる働き</strong>として、生命を考えて（おり、そしてそれを可能にする原理をélan vitalと呼んで）いるという点。</p>
<blockquote class="blockquote">
<p>生命は、カルノーの原理が規定しているような物理的変化の方向を覆すだけの力は持っていない。しかし少なくとも生命は、何ものにも制約を受けない場合、物理的変化とは逆方向に働くであろう力が振舞うように断固として振舞っている。生命は物質的変化の進行をとめることはできないにしても、それを遅らせることには成功している。</p>
</blockquote>
<hr>
<div class="first-published">
<p>初出：<a href="https://hiraiya.wordpress.com/2021/03/03/boltzmann/">旧ブログ</a>（2021年3月3日）</p>
</div>



 ]]></description>
  <category>ベルクソン</category>
  <category>時間論</category>
  <category>物理学</category>
  <guid>https://yasushihirai.com/notes/boltzmann/</guid>
  <pubDate>Wed, 03 Mar 2021 00:00:00 GMT</pubDate>
</item>
<item>
  <title>ベルクソンによるフィヒテ講義の要約</title>
  <link>https://yasushihirai.com/notes/bergson-fichte/</link>
  <description><![CDATA[ 




<p>1898年にENS（高等師範学校）でなされたフィヒテの著作『人間の使命』についてのベルクソンの講義が、アムランのフィヒテ講義と抱き合わせの形で、一冊の単行本としてPUFから出版されています（1988年、現在は絶版）。学生のノート（主にDésiré Roustanという名前の学生）に基づいて編集されたものです。</p>
<p>ここに載せたのは、これを読書会で扱った際（1999年4月〜7月）に作った僕のノートです（実質的には要約的訳）。あくまでも自分用のノートとして作ったものなので、訳文など若干読みにくい箇所があるかも知れませんが、なにかの参考になれば幸いです。</p>
<p>大学院のころに作成した要約的訳文です。当時都立大学のサーバー上に持っていた平井の個人ホームページで公開していたままのファイルを AS IS で配布いたします。私的利用・研究目的にのみご利用ください。</p>
<section id="底本" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="底本">底本</h2>
<p>Octave Hamelin / Henri Bergson, <em>[…] Fichte: Deux cours inédits</em>, publiés par Fernand Turlot et Philippe Soulez, PUF, 1988.</p>
<!-- 原ページでは書誌情報が行頭カンマ付きの断片として出ており、
     画像のalt・figcaption・PDFプレビューのいずれに由来するか特定できませんでした。
     上は断片から復元したものです。正確な書誌に直してください。 -->
</section>
<section id="ダウンロード" class="level2">
<h2 class="anchored" data-anchor-id="ダウンロード">ダウンロード</h2>
<p><strong>Fichte: Die Bestimmung des Menschen</strong> Cours d’Henri Bergson – ENS 1898 Notes de Désiré Roustan 訳：平井靖史</p>
<p><a href="https://hiraiya.wordpress.com/wp-content/uploads/2021/02/bergson_fichte.pdf">PDFをダウンロード</a></p>
<!-- PDFは旧ブログのサーバーにあります。ブログ凍結後も残る見込みですが、
     確実を期すなら files/ 等に同梱してリンクを差し替えてください。 -->
<hr>
<div class="first-published">
<p>初出：<a href="https://hiraiya.wordpress.com/2021/02/12/bergson_fichte/">旧ブログ</a>（2021年2月12日）</p>
</div>


</section>

 ]]></description>
  <category>ベルクソン</category>
  <category>翻訳資料</category>
  <category>文献ノート</category>
  <guid>https://yasushihirai.com/notes/bergson-fichte/</guid>
  <pubDate>Fri, 12 Feb 2021 00:00:00 GMT</pubDate>
</item>
<item>
  <title>過去の保存問題</title>
  <link>https://yasushihirai.com/notes/kako-hozon/</link>
  <description><![CDATA[ 




<p>たまには議論。<a href="https://rmaruy.hatenablog.com/entry/2018/09/23/223511">丸山隆一氏が以下のブログ記事</a>で、「物理学にとって記憶とは何か」というテーマを論じられている。</p>
<p>これは<strong>過去の保存問題</strong>に直結する予感がしてコメントしたところ、以下のお返事で確信に。</p>
<blockquote class="blockquote">
<p>ブログを再読してみると、私の疑問（の一つ）は「現在の物質状態のうち、過去の現象の痕跡・記憶であるものとそうでないものを客観的に（物理学内で）区別できるのか？」ということだったようです。物理学者キャロル氏は、過去仮説に基づいてそれができると考えていて、そこに違和感をもったのでした。</p>
</blockquote>
<p>しかし、まさにこれを論じた平井論文（「時間は何を保存するか」『ベルクソン『物質と記憶』を再起動する』2018年12月所収）が、テクスト解釈や色々と文脈を取り込みすぎて回りくどい議論になっており、ベルクソン研究者以外には（研究者にも？）たいへん読みにくいと評判（無念）。</p>
<p>というわけで、非専門家向けに骨子だけシンプルにまとめておくのも有益かもしれないと思って以下に記します。まず、問題のありかを示す一箇所だけはいちおう引用しときます。</p>
<blockquote class="blockquote">
<p>脳という物質のなかには、一時的に変動するだけの状態(a)があり、また痕跡として中長期的に維持される状態(b)がある。前者と後者の違いを、現在(t1とする)の物質としての脳神経(a@t1, b@t1)だけに訴えて説明することはできない。それぞれの先行する状態(a@t0, b@t0)と比較して、変動したか維持されているかが分かり、維持されているものが痕跡と言われうるからだ。ところでこの先行する状態(a@t0, b@t0)は、どこにあるか。現在の物理的痕跡と別に、この先行する物理的痕跡が同じように物質として保存されていると認めるか（この場合にはこの先行状態もタンパク質でできているので通常の観測機器で観察することができ、記憶力という特別な力は<del>必要</del>不要になるというメリットがあるが、物質が時間分保存されて増え続けるのは不条理だろうとベルクソンは考えている）、さもなければ、結局は研究者の記憶力に訴えることになるからだ。記憶力を説明するはずの痕跡が、実は記憶力を前提する。</p>
<p>— 平井(2018)「時間は何を保存するか　ベルクソンにおける出来事個体の数的同一性の創設とイメージの問題」『ベルクソン『物質と記憶』を再起動する』226頁（「<del>必要</del>」は書籍のタイプミス）</p>
</blockquote>
<p>で、どういう議論になっているかというと、まず、一番ギリギリまで簡略化したバージョンを示します。二択。</p>
<blockquote class="blockquote">
<p><strong>問題</strong>：ある脳の状態が、（ただの現在事物ではなく）「痕跡である」とはいかにして可能か。</p>
<p><strong>答え</strong>：「痕跡である」ことは「異時点間」関係を含意するので、現在だけからこの関係を実在的に根拠づけることは原理的にできない。ゆえに、痕跡は非実在的フィクションであるか、あるいは実在であるなら相関者である別時点の存在を何らかの仕方で用意することが必要。</p>
</blockquote>
<p>〔念のため述べておくと、物理学者が「一般化された多時点」の物質を扱うとき、「地図は土地ではない」で言う「地図」の話で、それに対して、ここで「実在」と言っているのは「土地」の話<sup>1</sup>〕</p>
<p>次に、論文で出した場合分けバージョン。問題をもうすこし一般化して、答えをより細かく四択に。</p>
<blockquote class="blockquote">
<p><strong>問題</strong>：何であれ何かが過去から存続しているという事態はいかにして可能か。</p>
<p><strong>答え</strong>：以下のいずれか</p>
<p>⑴ 現在瞬間しか存在しない物質では説明できないので神の誠実に訴える（デカルト連続創造説） ⑵ 過去の物質の存在も認める。（少なくとも成長ブロック型の）四次元主義。 ⑶ 過去の非物質的な存在を認める。（ベルクソン） ⑷ 過去の存在をいかなる意味でも認めない。（過去は（人力で正当化された）フィクション）</p>
</blockquote>
<p>⑴は神力で正当化されているので、神さえ認められる人には有力。そうでない人は以下の三択。</p>
<p>⑵のメリットは、「物質以外を認めなくて良い」「現在と連続的」。デメリットは「物質が増え続ける」「過去の物質をどうやったら観測できるのか」などか。</p>
<p>⑶のメリットは、⑵のデメリットを避けられる。デメリットは「形而上学的な匂いがする」などか。</p>
<p>⑷のメリットは、「物質以外を認めなくて良い」（存在者コストが一番安い）。デメリットは、相当技巧的になる（説明のテクニカルなコストが高い）。</p>
<p>どれにしても一長一短なわけで、どう選ぶかは、いろんなコストや長短をどう見積もるかに依存するかと。ベルクソン自身は、「存続・保存」が実在に根拠づけられていることを他の様々な文脈からも重視する理由を持つので、相対的に⑵⑷のような物質主義へのこだわりが低く⑶を採っているのではないかというのが平井論文での整理。</p>
<p>（この「保存されている過去」が、脱心理化されているという意味で「純粋記憶」と名付けられている）</p>
<p>なおベルクソニアンとして⑶のデメリット（「非物質的」て何言うてるの）を軽減するべく弁護するなら、以下のような感じ（丸山氏へのメールより）。</p>
<blockquote class="blockquote">
<p>「物質でないしかたで」にギョッとする人が多いのですが、別にスピリチュアルなものを持ち出さずも、物質に先行する中立的存在者で第一次的には宇宙は構成されていると考えたうえで、それを「ある仕方で」切り出したのが物質であるという考えです。ベルクソンはこの中立的実在をイマージュと呼んだりしていますが、別な仕方で（情報とか）考えても良いと思います。</p>
<p>〔なおこの方略は時間問題だけでなく、心身問題や心の発生論で他にも随伴するメリットが大きく、トータルで有用なものとベルクソンは採用。〕</p>
<p>そうすると、実在を、現在の物理学と整合するように「ある特定の仕方で」（例えば準同時性で）切り出したものを「物質と定義する」ということになり、別な仕方、例えば時間次元方向に切り出せば、「定義によって」物質ではない「ということになる」、という感じです。</p>
</blockquote>
<p>そうして、この時間次元の方から、心の発生を組み立てていく。ここからは持続と心理的な記憶の話になっていきます。</p>
<p>さて、丸山氏のブログ記事では、痕跡の問題は、時間の「一方向性の問題」から説き起こされていました。こちらの問題も基本的に同型と思います。</p>
<p>よく指摘されるように、エントロピーで「一方向性」を説明すると称する議論は、多くの場合循環を隠していて、うまく行ってない。統計的解釈ならしばしば指摘されるように双方向的だし、過去仮説なんて、初めから過去を使っている（しかも自分で堂々と名乗っている）、露骨な循環。ビッグバンが低エントロピーとか言って、そもそもなぜビッグバンが「過去側」なのか（そのビッグバンに向かって進んでいるのではなくて）というのを問題にしているときに！</p>
<p>つまり、ほんとうに物理だけに訴えるなら一方向性が出てこないのが正しいのだと思います。</p>
<p>そして、それが議論の終わりではなくて、問題はまさにそこからで（丸山氏の展開する通り）。つまり、記憶や時間の経過というわれわれが直観的に採用している世界の時間構造の説明責任が残る。ここでも議論は、簡略化すれば二つに一つで、</p>
<ul>
<li>（物質しか存在しないのだから）「ほんとうは」非対称性なんて存在しないと突っ張るか、</li>
<li>物質とは別なしかたで成立していると考えるか、</li>
</ul>
<p>の二択になる。</p>
<p>ここまで書くと、<a href="https://hiraiya.wordpress.com/2019/01/29/%e5%b9%b3%e4%ba%952017%e3%80%8c%e6%99%82%e9%96%93%e3%81%ae%e4%bd%95%e3%81%8c%e7%89%a9%e8%aa%9e%e3%82%8a%e3%81%88%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%ae%e3%81%8b%e3%80%8d/">先日全文公開した</a>「時間の何が物語えないのか」で展開した「計測の循環」と持続（質的計測としての経験）の話も。</p>
<blockquote class="blockquote">
<p>例えば、何らかの運動を振り子時計で計るとしよう。振り子時計の一振りと次の一振りが時間的に等間隔であるかを、振り子時計自身は計測することができない。そこで振り子運動の斉一性を、別な時計の秒針で確認したとする(並置による計測)。では今度は、この秒針のチクとタクが等間隔であるかをどう確認しよう。質的には確認できる。しかし量的な確証が欲しい。ならば並置的計測を続けるか、あるいは物性の仮定上の斉一性に投げる他ない。つまり、別な運動体との並置による計測は、どこまでも「空回り」するように思える。だが、この空回り自体が、第四次元方向に量としての客観的な時間間隔というものが実在しているという(ベルクソンによれば)誤った仮定による描像に起因する。そこで、2つの選択肢がある。時間〔引用注：ここでは時点間の「間隔」のこと〕が実在であること自体を否定して、時間についての規約主義を採るか、あるいは、時間は実在であるが量ではないしかたで実在すると考えるか、である。ベルクソンは後者である。</p>
<p>— 平井(2017)「時間の何が物語りえないのか」『時間学の構築II　物語と時間』45頁</p>
</blockquote>
<p>ベルクソンの原典は研究者にとっても非常に難解で、私による以上の再構成も、なお根本的に間違っている可能性ももちろんあります。</p>
<p>しかし、ベルクソンが主著『物質と記憶』で、記憶という一見心理学的な問題から、過去の存在・時間そのものの実在という存在論的な問題に入っていったのはまぎれもない事実で、それと同じ歩みを、丸山さんの議論に見て取れたのには感銘を受けました。</p>
<hr>
<div class="first-published">
<p>初出：<a href="https://hiraiya.wordpress.com/2019/02/09/%e9%81%8e%e5%8e%bb%e3%81%ae%e4%bf%9d%e5%ad%98%e5%95%8f%e9%a1%8c/">旧ブログ</a>（2019年2月9日）</p>
</div>




<div id="quarto-appendix" class="default"><section id="footnotes" class="footnotes footnotes-end-of-document"><h2 class="anchored quarto-appendix-heading">脚注</h2>

<ol>
<li id="fn1"><p>少し調べると「地図は土地ではない」というのは元はAlfred Korzybskiの言葉で、いろんな意味が含まれているようだけども、ここでの意図は、「表象はその対象ではない」（仮に表象がその対象と「適切に／機能的に対応している場合でも」、前者は抽象的構築物であって後者とは存在論的に混同してはならない）ということ。↩︎</p></li>
</ol>
</section></div> ]]></description>
  <category>ベルクソン</category>
  <category>記憶</category>
  <category>時間論</category>
  <category>形而上学</category>
  <guid>https://yasushihirai.com/notes/kako-hozon/</guid>
  <pubDate>Sat, 09 Feb 2019 00:00:00 GMT</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
